察しが良すぎる病気
やぁ
ここ最近特に思うことが多くなった。
察しが良すぎるってのは病気なのだと。
これは私が小学生の頃からの特性なんだが、やたら察しが良い。もちろん察しが良いとは言っても確認しなければただの妄想で止まる。なので小さい頃はその都度確認してた(嫌な奴)
例えば「aがbのこと好きなんだろうな」とか「こいつ何か隠してるけど、多分あの類だろうな」とか。普通にみんなできないことなのか、出来てるけど口にしないだけなのか当時はわからなかった。
だから確認した際に「なんでわかったの?」とか、あたかも私だけが当てたみたいな空気を出されたことはよくあった。それに当ててもその事を隠したいからか、私がそれを当てたという事実は本人しか知り得ない情報となる。
大人になってもこの感覚は相変わらずだ。もちろん私はエスパーでも何でもない。ただその人の行動を見て当てているだけだ。まぁ流石に社会人になのでいちいち確認はしないけど。。
この特性は便利だが、時より物凄くいらないと感じるときがある。
それは「相手が弱っている事にすぐ気づいてしまうこと」だ。
正直いらないし気づきたくもない。気づいたら声かけなきゃ嫌な気分になるし、話を聞く流れになると手が止まり無駄に時間を浪費する。
もちろん声かけたからには話を聞く義務が発生する。嫌なら見て見ぬふりをすればいいけど、私が話を聞くことによって楽になるなら別にいいかと思ってしまう自分もいる。仕事仲間もそれでパフォーマンスが上がるなら聞く利点もあるし。
しかし病気だ。心配病。親切病。おせっかい病。めんどくせぇ。時間の無駄。聞くだけ無駄。
まぁ、話ぐらいだったら聞くけど。